2017.06.18 Sunday

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    2013.07.13 Saturday

    年収1億円を稼ぐ人だけが知る40のリスト

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      8つの項目に沿い、稼ぐ人に共通する習慣をリスト化した。あなたは、いくつあてはまるだろうか。

       

      人への関心:誰と、どのくらいの時間会っているかを把握しているか?

       

      □情報はいうまでもなく、金もまた人についてくることを知っている。

      □大切な人に会うための時間は、ほかの予定を変えてでも捻出する。

      □待ち合わせの場所には、常に約束の時間より余裕をもって到着する。

      □勉強会や交流会への参加は、会の内容より、参加者の顔ぶれで決める。

      □世話になった人へは、お礼のメール・手紙や品を必ず送る。

       

       

      素直さ:人から勧められたことを、すぐに試す素直さがあるか?

       

      □一目置く人から勧められた本や情報は、必ずチェックする。

      □年齢や肩書にかかわらず、相手の話には耳を傾ける。

      □行動や習慣について指摘されたら、すぐに試したり変えてみる。

      □人と話をするときに、「でも」「そうはいっても」などの否定表現を使わない。

      □メンターと呼べる人が3人以上おり、それぞれの分野が異なっている。

       

       

      成長意欲:常に、仕入れを怠らない高い成長意欲があるか?

       

      □楽しい会合であっても、マンネリ化してきたと思ったら、参加をやめる。

      □興味がある、会いたいと思う人には、自分から積極的に会いにいく。

      □情報を仕入れるときは、自分が大切に思う相手が喜ぶ情報を意識的にとる。

      □空っぽになることを恐れず、知識や情報を徹底的に出し切ることができる。

      □人生や仕事のステージで、つき合う人がガラッと変わった経験がある。

       

       

      互酬性の法則:自分の強みでなく、相手の評価軸を知っているか?

       

      11の損得でなく、まずは相手の役に立つことを考えている。

      □人に何かを頼まれたり、相談されたときは、自分にできる限りのことをする。

      □自分が何をしたいかより、何をしたら相手が喜ぶかを常に意識している。

      □相手のほうが得意と思う分野に関しては、口を出さず、全面的に任せる。

      □人に何かをしてあげた結果、まわりまわって別の誰かから返ってきた体験がある。

       

       

      捨てる勇気:戦略とは、捨てると同義であることを知っているか?

       

      □人生でやりたいことだけでなく、やらないことも決めている。

      □やりたいことに集中して時間を使うために、やることを絞っている。

      □やらないと決めたら、中途半端に手を出すのでなく、思い切って丸ごと捨てる。

      □自分が心から好きなこと、得意で成果を出せることは何かをわかっている。

      □仕事において、自分の得意なこと、強みを徹底的に生かしている。

       

       

      1人になる時間:何もしない空白の1日を、意識的に設けているか?

       

      □予定をぎっしり詰めるのではなく、意図的に何もしない日や時間帯を設けている。

      1年のどこかで意識的に、連続して休暇をとったり、長期のバカンスに行く。

      □決められた休日に休むのでなく、いつ集中し、休むかは自分がコントロールする。

      □働くときは徹底して働き、遊ぶときは徹底して時間と金を使って遊ぶ。

      □課題が目の前にあるとき、すぐに行動するのではなく、まずは考える時間をとる。

       

       

      チャンスの掴み方:人生は、偶然で成り立っていることを知っているか?

       

      □相手から何かを頼まれたり、聞かれたときは、24時間以内に返事をする。

      □変革につながる人やチャンスと思ったら、ほかをキャンセルしてでも時間を使う。

      □新しいことへのチャレンジのために、いまのポジションを捨て去ることができる。

      1日の終わりに、その日の行動について、振り返る時間を設けている。

      □そのときの一瞬一瞬を、充実して生きることこそが人生だと思う。

       

       

      体験を買う:お金は、体験を買うためにあることを知っているか?

       

      □目に見えるもの、形に残るものだけでなく、むしろ形に残らないものに金を使う。

      □レストランへ行く、ホテルに泊まるときなどは、ときに思い切ってランクを上げる。

      □飛行機は常にビジネスに乗るのでなく、破格に安いエコノミーがあれば使ってみる。

      □必要と思ったら、いまの自分にとっては大金でも、思い切って払う決断ができる。

      □仕事で大切なのは、金を貯めることより、信頼を貯めることだと考える。




      2013.04.05 Friday

      成功者に大切な「三福」の思想

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        私は、無限の富を引き寄せて多くの方を幸福にできる大富豪を目指しています。一般の人と大富豪では、思いの持ち方や考え方、信仰生活に何か違いはあるのでしょうか。また、大富豪の信仰生活のなかで、絶対に外せないポイントとは何でしょうか。

         

        大富豪とは「大勢の人を船で渡したい」人

         

         

        それは、思いの強さの違いでしょう。

         

        その思いの強さは何かというと、結局、「自分一人がボートに乗って漕げばいい」、あるいは、「自分や自分の家族がなんとかなればいい」と思っている人と、「できるだけ大きな筏なり、大きな船をつくって、大勢の人を乗せて、向こう側に渡したい」と思うかどうかの違いでしょう。

         

        一般の人は、自分のボートが泥船でなくて、沈まずにちゃんと向こう岸に着けたら、それで十分、あるいは、家族が乗れたら十分だと思っています。これが普通の人の負っている義務です。

         

        しかし、大富豪は、昔の言葉で言えば、「大きな筏に大勢を乗せたい」、今の言葉で言えば、「大きな船で渡したい」という希望を持っている人たちです。この違いが一つあります。

         

         

        「福を惜しむ心」と「おすそ分けの気持ち」を

         

        そして、大富豪の信仰生活で「絶対、外してはいけないことは何か」というと、お金が儲かり始めると、それが面白くなってきます。しかし、その面白くなっていくときに、もう一度原点に帰って、「三福(惜福・分福・植福)の説」を思い出していただきたいのです。

         

        お金が儲かってくるということは、要するに、福が自分に付いてくるわけです。そのときにはまず、自分に入ってきた富の一部を惜しむ「惜福」が大事です。

         

        「一時金が入ってきたから、これをバッと、難波(大阪の歓楽街)で使っちゃおうか」という思いが出てきても(会場笑)、それをグッと押さえて、「いや、待てよ。今後まだ、投資しなければいけないものや、寄付したいことがある。一晩でパッと散らしたいところを、ここはグッと我慢して、近くの喫茶店に行って終わりにしよう」(会場笑)というのも惜福です。子供にもパッと何か買い与えてやりたいところを、「学校に受かってからにしようか」ということだって惜福かもしれません。このように、「福を惜しむ心」を持っていなければいけません。

         

        また、「分福」と言って、自分が運良くいろいろ儲かったり収入が入ってきたりしたときに、「ああ、自分一人のものにしてはいけないんだ」と考え、他の人にも、その恵みを少しずつおすそ分けすることです。

         

        昔で言うと、何かお祝いごとがあったときに料理をいっぱいつくったら、隣近所にもおすそ分けするようなことがありましたが、ああいうことは分福です。自分に何か、他の人にあらざるような良いことが起きたら、それを少しおすそ分けしようとする気持ちを持つことです。

         

        あるいは、お金や物でなくても、成功するための考え方をお分けするということでもいいと思います。自分の会社が成功したら、「こういうことでうまくいった」「こういうことをしたら、リピート客が増えるようになった」「こういう挨拶や接客の仕方をしたらすごく良くなった」など、成功談の一部を話してあげることです。

         

        普通の人は、「なぜ成功したか」は隠したいものです。ずっと隠したまま、死ぬまで持っていきたいところですが、それを他の人にも教えてあげるのは「分福」に当たります。

         

         

        「植福の気持ち」があると成功が長く続く

         

        さらに「植福」とは、「自分の儲かったものを全部自分だけのものにしないで、その一部を世の中にお返ししたり寄付したりする」ということです。

         

        これは匿名であってもいいし、多少は知られてもいいと思います。アメリカのほとんどの企業でも、利益のうち1パーセントぐらいを寄付するぐらいのことは、皆やっています。また、政治家や大統領などになっていくような人も皆、本人もしくは奥さんなどが、休日や夜に何らかの奉仕活動をするなど、自分の時間や労力、お金などいろいろなものを、自分の本業と関係のない公共のところに差し出していくということをやっています。そういうところは大事だと思います。

         

        儲かったら儲かったなりに、少しずつそうやって、縁があったところへ寄付していく気持ちは持っておいたほうがいいでしょう。自分が信仰している宗教もあるでしょうけれども、他のものにまで、それが及ぶ場合もあるでしょうね。

         

        そのように、「お金が貯まったら、それをいろいろな良いことのために使いたいな」という気持ちを持っていると、その成功が長く続くということは言えると思います。

         

        ですから、成功者になった場合、絶対忘れてはいけないのは、この「三福の思想」を繰り返し思い返すこと。これだけ忘れなければ、成功は続いていく可能性が高いと言ってもいいと思います。

         

         

        宗教が具体的な公益活動を行うことも大切

         

        成功は、一時的なものにならないようにすることが大事です。

        一時的にバーッと成功して、あっという間に倒産するというのはよくあるケースです。ものすごく有名になり、大金持ちになったかと思ったら、その何年後、「あの人はどうなったか」と調べたら、「こんなに大変な状態になっていました」とわかることがあります。

         

        最近であれば、大金持ちになって、拘置所に入るというのもよくあるケースです。ただ、これは世間に対する見せしめも入っています。「他が儲からないで、皆苦しんでいるので、濡れ手に粟で儲かったような人を捕まえてきて拘置所に放り込むと、みんながスカーッとする。だから、そういった人を捕まえる」ということをやっていますね。

         

        幸福の科学も、できるだけいろいろなところに活動の幅を広げるようにしています。自分たち自身が活動していくためにもお金が必要ではありますが、少しずつ、いろいろな関連活動をやっています。子供に勉強を教える事業や、あるいは不登校児や障害を持つ人を救う活動もしています。海外でも、津波や地震の被害を受けた人を助けるなど、いろいろなことをやっています。

         

        そういう心掛けを少し持っておくことが大事です。世間の人は具体的な行動でしか判断ができないことがあるので、そういうところをお見せすることです。あなたは幸福の科学の教団にも寄付をされると思いますが、教団としては、その寄付されたものを、ちゃんと公益活動に使っているところを見せる義務があるだろうと思うのです。

         

        この「三福」を忘れなければ、成功は間違いなしです。



        2013.03.14 Thursday

        カーネギーに学ぶ大富豪の条件──時間・人・金の使い方

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          http://www.the-liberty.com/article.php?pageId=1&item_id=5652

          アンドリュー・カーネギー

          Andrew Carnegie(1835-1919)

          アメリカの鉄鋼産業の礎を築いた鉄鋼王。大慈善家としても知られる。1848年、スコットランドからペンシルベニアへ家族とともに移住。貧しい生活を送る。紡績工、電報局員、電信技手などを経て、'65年、ピッツバーグで製鋼業を始める。'73年には、ホームステッドで製鋼業会社を設立、次第に頭角を現し、'88年にはホームステッド製鋼工場、'99年にはカーネギー鉄鋼株式会社を経営し、アメリカでの鉄鋼の4分の1を生産するにいたる。1901年には、ユナイテッド・ステーツ・スチールと合併し、引退。その後は、富豪の使命は人類の進歩のためにその富を大衆の利益に帰すことにある”という信念のもと、1902年にカーネギー協会、'11年にはカーネギー財団を設立し、その名を冠したホールや大学を次々と建て、慈善活動に巨額の資金を投じた。

           

          「成功には何のトリックもない。私は私に与えられた仕事を全力でつくしてきただけだ。」

           

           

           

          貧しい移民の子が、5億ドルの大富豪へと変身する──カーネギーの人生は、アメリカの典型的なサクセス・ストーリーである。

           

          カーネギーの父は織物職人だった。イギリスで自動織機が普及し、手織物の価格が下がったため生活に困った一家は、仕事を求めて、スコットランドからアメリカに移住した。カーネギーが12歳の時のことだ。

           

          家計を助けるため、カーネギーは週給1ドル20セントで紡績工場に勤め始め、電報配達、鉄道会社と転職し、その後独立して鉄鋼会社などの経営にあたった。

           

          カーネギーは鉄鋼会社に最新の製鋼法を導入し、原料の購入から完成品を作るまでを一貫して取り扱う垂直統合を果たして生産効率を向上させた。その結果、カーネギー・スチールはアメリカの鉄鋼産業の50%を占めるまでに成長した。現在のUSスチールはこのカーネギー・スチールが元となっている。

           

          1901年、銀行家のモルガン主導でカーネギー・スチールを吸収してUSスチールを作ったところ、その生産高はアメリカ全体の約7割にもなったという。

           

          カーネギーはその直後に株を売って引退し、5億ドルもの巨富を手にした。これほどの富を作ることができたのは、カーネギーに何か特殊な才能があったからだろうか。

           

          その企業家人生をつぶさに調べていくと、カーネギーは、時間、人、金の使い方において卓越していたことが見えてくる。

           

           

           

          1.時間の使い方

           

          ポイント

           

          (1) 次のステージに上がるために事前に勉強に励む

          (2) 必要なものを先回りして用意し成功を確実なものにする

           

           

          常に事前準備を怠らない予習型人生

           

          カーネギーの時間の使い方の特徴を一言で言うと、「予習型」であったということだ。少年時代には、次のステージに上がるための勉強を、時間を作って進めたため、どんなチャンスも逃さなかった。

           

          カーネギーは18歳までに3回転職したが、常に「勉強の時間を取る」ことを最初に考えたという。

           

          初めに勤めた紡績工場では厳しい労働時間の後に簿記の勉強をし、工場の事務員に抜擢されている。

           

          その後、転職して電報配達夫になったカーネギーは通信技手になることを決意し、朝は1時間早く出社してキーを叩いて練習した。ある朝、当直の技手が出勤する前に電報が入ってきてしまったが、あらかじめ技能を習得していたカーネギーはその電報を代わりに受信することができた。

           

          しばらくすると、今度は別の町の通信技手が「休暇を2週間取りたいので代わりを送ってほしい」と言ってきた。できるかと聞かれたカーネギーは、「すぐやれます」と答えた。こうしてカーネギーは通信技手として採用され、16歳の少年としては破格の年収300ドルの社員になった。この金額は当時、一家族が生活するに十分なものだった。

           

          その後も生涯を通じて、カーネギーはチャンスをつかむことに成功し続けたが、その陰には、常に先々の準備を惜しまない努力があった。

           

           

           

          顧客を確保してから店を出す

           

          経営者になってからも「先回り」で成功した。鉄道のレール会社を設立したときのこと。製鉄業界でレール会社は経営が難しいことで知られていた。

           

          しかしカーネギーは、会社設立前に営業活動を行って十分な数の受注を取っていたため、設立後わずか1カ月で1万ドルもの利益を叩き出し、同業者を驚かせたという。

           

          鉄橋会社を経営し始めてからも、カーネギーは先回りしてチャンスをつかんだ。カーネギーの取り扱う鉄橋は非常に高価だった。そのままでは、高すぎて誰も買ってくれない。そこで、資金が足りなくて買えないという顧客のために、カーネギーが代わりに購入資金を調達することにした。そのために銀行家のモルガンと組み、自在に資金を調達できる体制を整えた。

           

          こうしてカーネギーは、次々と高額の受注に成功した。顧客の資金繰りにまで先回りして配慮したことが功を奏したのだ。

           

           

           

          2.人の使い方

           

          ポイント

           

          (1) 優れた人物を探すとき一切妥協しない

          (2) 周りの人も豊かにすると決意

           

           

          協力者を強く求める

           

          生前、墓碑銘に、「ここに自分より賢い人間を集めることに長けた人間が眠る」と記すことを希望したように、カーネギーの成功の秘訣は、優秀な人材を集めたことが大きい。

           

          その方法は実にユニークで、象徴的な例としては、カーネギーの成功法則の裏付け研究をしたナポレオン・ヒルが挙げられる。

           

          カーネギーは当時、自身がつかんだ成功法則を後世に残すため、様々な実例を研究してまとめる人を探しており、ヒルに会うまでに260人以上を不合格にしていた。


          「無報酬でやれますか」と聞いて1分以内にOKした人に頼むと決めていたが、ヒルは29秒で返事をして合格した。このルールは「この種の決断を1分以内に出せる人でなければ、何をやらせてもダメなもの」という理由からだった。

           

          このエピソードのポイントは、260人もの人を不合格にしていながら、条件を緩めなかったことだ。希望する人材が出てこなければ、普通ならハードルを下げてしまうところだ。優れた人物を探すにあたって、一切妥協することがなかったわけだ。その結果、カーネギーのまわりに、次々と優秀な人材が集まった。

           

           

          他人の利益を図らずして自らの繁栄はない

           

           

          なぜカーネギーは、そこまで必死に人材を求めたのだろうか。

           

          南北戦争で鉄道輸送を監督したときの無理がたたって体調を崩し、現場を共同経営者に任せなければならなくなったのが最初のきっかけだった。カーネギー自身は全体の方針を考えることに専念し、他社から最高の技術を持った人材を引き抜いたり、際立ってよい成果を出した若者を経営陣に抜擢するなど、ほかの人にもチャンスを与えた。

           

          晩年、カーネギーがヘレン・ケラーにある富豪を紹介する際、こう言ったという。「私が金満家にした12人のうちの一人です」「金儲けの仕事をこういう人たちに任せてから、人生がいっそう楽しくなりました」 実際、カーネギーほど金満家を生んだ人もいないだろうと言われている。

           

          彼のこんな言葉が残っている。

          「他人の利益を図らずして自らの繁栄はない」周りの人も豊かにするという決意が、優れた人を惹きつけ続けたのだろう。

           

          カーネギーの経営する工場では、従業員とコミュニケーションを取って意見を取り入れ、彼らの不満を未然に消していたため、当時の多くの企業と違い、ストライキはほとんど起きなかったという。

           

           

           

          3.金の使い方

           

          ポイント

           

          (1) 社会をよりよいものにするために慈善に使う

          (2) その場合、努力している人にしか与えない

           

          富豪には与えられた富を公共のために有効に用いる義務がある

           

          カーネギーが今、多くの人に知られているのは、単にお金を稼ぐことが上手かったからではなく、その使い方にも優れていたからだ。

           

          カーネギーは、生活に必要な分を超えた富については、社会から預かったものと考えていた。また、「富豪には与えられた富を公共のために有効に用いる義務がある」と言い、寄付を通して、社会をよりよいものにしたいと考えていた。

           

          そうした考えをカーネギーは『富の福音』に著わし、実際にその通りにふるまった。亡くなるまでに自分の資産をほとんど寄付してしまったが、漫然と寄付していたわけでなく、求められての寄付にはほとんど応じなかったという。

           

          カーネギーの寄付の基準は、「慈善を行い、人に何かを与える人がまず考えなければならないのは、助けるべき人は、自分自身で努力している人に限るということであるというものだった。

           

           

           

          努力する人にしか与えない

           

          カーネギーが富の使い道として最も重要だと考えていたのが、実は「大学」だ。著書『富の福音』で、「富豪の援助が社会にもっとも役に立つ分野は、奨学金制度のように、人々が高いところに登る足場を作ることである」と、教育のための寄付を筆頭に挙げていた。このほかには、図書館、公会堂、公園、美術館などを寄付することが望ましいと記している。

           

          その持論の通り、カーネギーが生涯を通じて寄付したのは約3000もの図書館や大学、天文台や労災年金、奨学金の基金などだった。

           

          特に図書館の寄贈が多い理由は、10代のころ、近所に住んでいたアンダーソン大佐に400冊ある図書室を使わせてもらったことへの強い感謝に基づいているという。

           

           

          33歳で「寄付する」と決めた

           

          慈善家として有名なカーネギーだが、その寄付の基準は厳しいものだった。「今日、慈善のために使用されている1000ドルのうち、990ドルは川に捨てたほうが、より社会のためになる」とまで断言したカーネギー。その効果を見据えての寄付は、後に続く富豪たちに大きな影響を与えた。

           

           

          カーネギーの寄付のもう一つの特徴は、富を寄付すると決心した途端、巨富がカーネギーに集まり始めたことだ。

           

          経営に専念し始めて3年後の33歳のメモにはこう書いている。

          35歳で引退してオックスフォード大学で数年間学び、余剰の富を慈善に使う」

           

          しかし、その決心の直後、事業が急拡大し、経営上の責任が重くなって引退できなくなってしまった。実際に引退して本格的に寄付を始めるのは、およそ30年後になる。だが、その結果、35歳で引退した場合よりずっと大きな額の寄付が可能になった。

           

          大川隆法・幸福の科学総裁は著書『常勝思考』で、「富はその使い方を知っている人のところに集まる」「『よい使い方がある』というアイデアを持っている人が出てくると、そこに向かって富は流れていきます」と説いている。

           

          カーネギーは若い頃、年間1500ドルの収入があれば年老いた両親を養えて、十分金持ちだと考えていた。

           

          「寄付によって社会をよくする」という使い道を決意したことで、大きな富を受け入れられる器ができたと言っていいのかもしれない。

           

           

          幸運の女神は努力するものに微笑む

           

          カーネギーは生涯を通じて、やることなすこと成功し通しだった。カーネギーの成功の要因は一見、極めて運が良かったことのようにも見える。同時代に大富豪が何人も出たという結果から見れば、富豪になれるチャンスにあふれた時代だったのは事実だろう。

           

          しかし、カーネギーの生まれた境遇は決して恵まれたものではなかった。彼は正規の教育を4年間しか受けていない。アメリカに渡った彼には、資本もコネもなかった。12歳の少年が強い意志と努力により、チャンスを自ら作り出して成果を出し続け、結果的に、時代の先端を行く技術や販売手法を編み出して大企業を経営し、巨万の富を築いたのだ。

           

          現代を生きる我々は、自分が成功しない理由を他人や環境のせいにして言い訳をしがちだが、カーネギーの人生を振り返れば、自らの時間、人、金の使い方によって、成功の道は無限に開けることが分かる。

           

          言い訳を排して、自分に何ができるかを追求することが、現代にも通じる、カーネギーの成功の秘訣だろう。

           

          予習型で努力し、協力者を真剣に求め、社会に正しく富を還元することを強く心に描けば、誰にでも、「カーネギー」になれるチャンスはあるのだ。





          2012.12.10 Monday

          安田善次郎に学ぶお金の「貯め方」「殖やし方」「使い方」

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            安田善次郎

            (1838-1921)

            富山県出身。安田銀行や帝国海上保険、安田生命保険、東京建物などを設立し、安田財閥(後の芙蓉グループ)を築いた。生前、匿名で学校や病院、災害被災者への寄付をするなど、人知れず社会貢献活動も行っていた。

             

             安田善次郎はいかにして大富豪となったのか


            安田善次郎といっても、若い読者にはなじみが薄いかもしれない。善次郎は明治を代表する大富豪の一人で、東京大学の安田講堂や日比谷公会堂を寄付したことで有名である。また、現在のみずほフィナンシャルグループのルーツとなる安田銀行(後の富士銀行)を創り、数多くの銀行や企業に融資した。

             

            彼が亡くなる時の総資産は実に2億円。当時15億円だった国家予算の約8分の1にあたる。2012年の国家予算が90兆円だったことを考えると、今で言えば10兆円以上の資産を一代で築いたことになる。ちなみに、フォーブス誌の2012年版世界長者番付で日本人トップはユニクロで知られるファーストリテイリング社創業者の柳井正氏だったが、総資産は8000億円超で、国家予算の1%に満たない。安田善次郎がいかに桁外れの大富豪だったかが分かる。

             

            しかも善次郎は農民出身であり、無一文で丁稚奉公から始めている。彼が生きたのは、明治維新、西南戦争、日清戦争、日露戦争と、まさに激動の時代だった。その中で、善次郎が着実に大富豪への道を歩むことができたのは、お金の「貯め方」「殖やし方」「使い方」において、卓越していたからだ。

              

             

            富の集中による公益事業のルーツは宗教にあった

            歴史的に見ると、宗教は数多くの公益事業を行っており、その中には現在であれば政治的な事業も多い。

             

            教育事業はまさにそうで、世界に名だたる多くの大学のルーツは宗教にある。

             

            例えば、イギリスのオックスフォード大学は、初期は修道院での教授と生徒の集まりだった。大学所属の建物が初めてできたのは1320年だったが、その資金を出したのは近隣の司教だった。

             

            アメリカのハーバード大学は、清教徒のジョン・ハーバードの寄付により設立された。彼は遺言で蔵書と所有不動産の半分を寄贈した。

             

            日本にも、キリスト教がつくった大学がいくつかある。有名なのはイエズス会だ。早くも16世紀にはイエズス会士のフランシスコ・ザビエルが来日した時に、日本人の素質に感動し、日本に大学を設立するよう本国スペインに手紙を送っている。当時、キリスト教が禁じられてしまったためこの計画は実現しなかった。しかし、ザビエルの理想は近代になって具体化されることになり、1913年に設立されたのが、上智大学だ。

             

            イエズス会は、他にも世界100カ国以上で大学を運営している。このような大規模事業のための資金は、信者や王からの布施、教皇からの給付金、また不動産収入などをもとにしていた。

             

            むろん、仏教も近代以前から日本の高等教育を担っていた。東大寺や高野山、比叡山など仏教寺院では仏典の研究がなされ、優秀な学僧が輩出された。彼らは当時の知識人階級であった。南禅寺などの僧侶は、政府の外交文書を手がけることもあった。

             


             病院・福祉事業のルーツにある宗教活動

            貧民救済や医療なども、そのルーツは宗教に行き当たる。

             

            日本の場合、東大寺や興福寺には、ともに悲田院と施薬院が置かれ、病人や孤児の保護・治療・施薬が行われた。その運営のために、朝廷から食料や衣料が支援されている。奈良時代の名僧、行基も様々な社会事業をしたことで知られているが、病院も建設している。

             

            鎌倉時代の僧侶の忍性も、各地に療養所や病院を建設している。北条時氏の発願で建設した桑名診療所は、20年で46800人もの人の命を救っている。

             

            仏教には、「福田」という思想がある。「良き行為の種子を蒔いて功徳の収穫を得る田」という意味で、菩薩の利他行のことである。中国や日本の悲田院や施薬院はこの思想に基づいて作られた。

             

            キリスト教の修道院も病院の起源となっている。5世紀末から数多く建設された修道院は、病人の治療や貧困者・老人・寡婦の救済に携わった。

             現代にも宗教系の病院が多数ある。聖路加国際病院は、1902年にキリスト教宣教医師のトイスラー博士が開設した診療所が元である。また、大阪の淀川キリスト教病院、京都の日本バプテスト病院、奈良の天理よろづ相談所病院なども宗教によって設立された。

             

             宗教に多くの浄財が集まるのは、そのお金が、宗教本来の使命である魂の救済をはじめとして、現実問題としての貧民救済や教育などの公益事業にも使われるからだ。



            1.お金の貯め方

            収入の2割を貯金する習慣

            善次郎のお金の貯め方の秘訣は、収入の2割を必ず貯蓄するというものだった。

             

            貯蓄の習慣は、幼少時から始まっていた。善次郎は、寺子屋を卒業すると、野菜や生花の行商や写本の内職、手紙の代筆などをして働いた。実家は半士半農で貧しかったこともあり、儲けた金は全額父親に渡し、1割だけを小遣いとしてもらって貯めていた。

             

            父親が蔵を建てた時、扉の代金が足りなかったが、善次郎が「私の蓄えを使って下さい」と差し出した時は、倹約家だった父親も驚いたという。

             

            何度でも再び立ち上がる

            しかも善次郎は、普通の人なら立ち上がれなくなるほどの苦難や災難に何度も遭っている。

             

            なけなしの所持金で富山から江戸に出て奉公を始めると、主人に気に入られて順調に昇給。しかし、仕事で大きな失敗をして奉公先を辞職してしまう。

             

            無職になった善次郎は、道端でスルメを売ることから再起を図り、両替業を営んで地道にお金を貯め、ついに自分の店、安田商店を開店する。

             

            そうしてようやく商売が軌道に乗ると、今度は泥棒に入られ、それまで貯めてきた全財産を盗まれてしまう。それでも淡々と商売を続け、ついに盗まれた額以上のお金を貯めた。

             

            こうしたエピソードから分かるのは、善次郎が極めて強い「克己心」を持っていたことだ。お金が入っても贅沢をせずに倹約に勤め、お金がなくなってもヤケにならずにただ淡々と努力を重ねていく。欲を慎み、徹底的に自分をコントロールして、蓄財に励んだ。この意志の力があったからこそ、予期せぬ失敗や環境の変化に左右されず、富を築くことができたのだ。

             

             

            2.お金の殖やし方

            時にはリスクを恐れず投資する

            ただコツコツと、単にお金を貯めただけで日本一の金持ちになれた訳ではない。「殖やす」ことについてもすごい才能を発揮した。そのコツは、ここぞという時にリスクを取るということだ。

             

            例えば、幕府の古いお金を引き受けて新しい金貨にする事業を任された時のことだ。当時、他の両替商は、強盗の押し入りを恐れ、店をたたむ者も多かった。そんな中で善次郎は過去に被害に遭ったことがあるにもかかわらず営業を続け、資金はごみ溜めの中に隠して厳重に管理。結果、事業はほぼ独占状態になり、手数料で大儲けした。

             

            さらに、幕府が崩壊して明治になると、政府は予算を集めるために国債を発行。しかし、民衆や他の両替商は、国債が紙切れになることを恐れて手を出さなかった。善次郎はいずれ政府の信用は高まると判断し、これを引き受ける。当初は元本割れが続いたが、次第に債券の価格は上昇して、額面通りの取引が行われるようになった。その結果、利子も合わせて善次郎の資産は国債購入時の3倍になった。

             

            智慧を持ってリスクを取る

            かといって、善次郎は単なる博打家ではなかった。勉強を重ね、見聞を重ねる努力は惜しまなかった。

             

            国立第三銀行を創る時にも、それまで部下を通わせていた簿記学校に自ら通った。また、善次郎は「聞き上手」でもあり、海外視察から帰ってきた知り合いが「欧州では運送網と保険が両輪のように発達している」と話しているのを聞いた。これが、のちの鉄道や港湾事業への投資や、帝国海上保険の設立につながっている。さらに趣味の旅行をしながら、地方経済の状況や産業の発展、住民の暮らしぶりや民度を調査。調査の結果は表にして記録し、後に各地に投資する際の判断材料にした。

             

            彼は細心の注意を払いつつ、大胆にリスクを取り、新しい事業にチャレンジした。これがお金を殖やす秘訣だったと言える。

             

             

            3.お金の使い方

            人を見て投資する

            善次郎の真骨頂は、お金の使い方にある。それは、信用に足る相手にお金を出すということだった。

             

            彼は、資産を築いて財界の大物になるにつれて、簡単にお金を出さなくなった。それが元で「守銭奴」や「ケチ」などと言われるようになってしまう。しかし、彼がお金を出さなかったのには、理由があった。

             

            成功しないものには出さない

             まずは、彼がお金を出さなかった例を二つ挙げよう。


            (1)借金のための融資

            彼は、個人融資をしておらず、生産活動を行う事業家に融資することを徹底した。特に借金を返済するためにお金を借りに来る人には「断じて貸すべきではない。こういう人は、高利貸しからでも借りるがいい」と言っている。他人ばかりあてにする人に対しては厳しい態度をとったのだ。


            (2)事業を成功させられない人物

            また、事業家であっても、人物に問題があると判断すれば融資していない。

             

            ある炭鉱経営者は、安田銀行から多額の融資を受けていた。しかし経営がうまくいっておらず、追加融資を期待して善次郎を豪邸に招き、懸命に接待した。だが、放漫経営に問題があると見抜いていた善次郎は、豪華な掛け軸を見て「早く売り払って資本に組み入れた方がよい」と、経営者の贅沢を一蹴している。

             

            善次郎は、経営者の心がけが悪ければ、たとえ良い事業であっても決して成功しないことを知っていたのだ。

             

            投資は大胆かつ慎重に

            それでは逆に、善次郎が積極的に投資した代表的ケースを三つ見てみよう。

            (1)信用できる相手への投資

            善次郎が信頼を置いた人物の筆頭に挙げられるのが、浅野総一郎だろう。彼が創立した浅野財閥は、現在の太平洋セメントやJFEスチール、日本郵船などのルーツである。浅野は善次郎と同郷の富山出身で、若い頃はまさに七転び八起きで、苦労を重ねながら商売のチャンスをつかみ、成功していた。善次郎は彼を大いに信頼し、多額の融資をした。浅野は渋沢栄一の協力も得て、横浜市鶴見区から川崎市川崎区の臨海地の埋め立て事業を完遂。この地域は、後の京浜工業地帯の中心になった。

             

            さらに、大阪港築港の立役者である大阪府知事の西村捨三や、甲州財閥を創った雨宮敬次郎にも支援をしている。

             

            善次郎は、相手の身元や信用を徹底して調べ上げた。そして、勉強家で先見の明を持つ人、最終的には自らの経験に照らして信用できると判断した人に対して、積極的に融資をした。善次郎自身が成功の秘訣を体得していたからこそ、成功する人を見抜けたのだろう。


            (2)銀行の救済

            「何千何万の預金者を救うため」として、善次郎は70行以上の銀行を救済している。銀行が日本経済全体に与える影響の大きさを熟知していたからだ。その際も、見通しの甘い融資を繰り返したり、財務状況をごまかしたりしている銀行には厳しく是正を迫った。


            (3)戦費調達

            彼は日清戦争や日露戦争の戦時公債も引き受けている。しかし、日露戦争末期に再度の戦時公債発行を打診された際は、爵位をちらつかされても、安田銀行の存続を考慮して断っている。こうして政府は講和条約締結を進め、無事戦争に勝利できたのだ。もちろん、戦後の戦費処理には全面的に協力している。高金利の戦時公債を低金利の公債に借り換えるよう提言し、その多くを引き受けた。

             

            彼は、「大いに撒かんために、大いに儲けなければならぬ」と言っている。「撒く」とは鉄道事業や築港、電気事業など、国の発展を支えるインフラ整備への融資である。このような社会的責任を自覚していたからこそ、見栄や情実に流される愚かな金の使い方はしなかったのだ。

             

             

            大きな理想が大富豪を創る

            経済学者のシュンペーターは、経済成長はイノベーションによって今までにないものを生み出すことで起こされると言っている。そしてイノベーションを起こすには、資本を提供する「銀行家」が必要だと言う。

             

            安田善次郎は、明治期の日本のイノベーションを促した、まさに理想の銀行家であった。今こそ日本には、善次郎のようにスケールの大きい「銀行家」が必要だろう。こうした銀行家が企業家と協力することで、イノベーションを起こせるからだ。

             

            実際、善次郎は通常の銀行家をはるかに超えたスケールで、日本経済全体の活性化を促すべく、大きな理想を描いていた。

             

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